「冬の熊野古道散策(熊瀬川王子→熊野本宮大社)その1」田辺市

和歌山在住の間に熊野古道を完歩したいという夢を持っていた二朗は、12月のとある週末、前回同様、パワーさんご夫妻とともに、冬の熊野古道散策に出かけました。
今回もパワーさんにアッシー君をお願いして、奥さんと二人で歩きます。
今日のコースは前回の続きで、「熊瀬川王子→熊野本宮大社」です。
10:34こちらがスタート地点の「熊瀬川王子跡」です。
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地名としての熊瀬川は、『承元参詣記』5月1日条で、熊瀬川で昼食を取ったという記述に見られ、『寛喜参詣記』11月5日条には、近露を発ち、やはり熊瀬川で昼食をとったと述べられています。
しかし、「熊背川王子」の名が見出される史料はわずかに『熊野縁起』1篇に過ぎず、王子間の平均的な距離は2キロメートルから3キロメートルほどありますが、小広王子からの距離はせいぜい1キロメートルほどしかなく、設立年代も含めて疑問が残ります。
熊瀬川とはもともと、小広峠一帯を源流域とする谷川ですが、同時に草鞋峠の登り口一帯を指す地名であって、その旨が元文4年(1739年)の『熊野めぐり』に明言されています。
また、『続風土記』では「小名熊瀬河は小広峠にあり」としています。
これらから、小広王子と熊瀬川王子は同一の王子の可能性もあります。


寒いからかエプロンがやたら大きいです。
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すぐに山道がはじまります。
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10:46「一里塚」が現れました。
和歌山から112キロ地点です。
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10:54「草鞋峠」を越えると、
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一昨年の台風12号災害の影響がまだ残っていて、「岩神王子」方面には行けません。
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11:11仕方なく、う回路を歩きます。
地図だけ見ても遠回りして、なおかつ高低差があるような・・・
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沢にはきれいな水が流れています。
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迂回路の道中には、網で仕切られたところがあります。
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良く見ると山のあちこちに柵で仕切られたところが・・・
はたして何を守っているのでしょうか?
「シキミ」(二朗の実家の地域では「しきび」と言います)なのかなあ・・・?
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こんな山道をどんどん登って行きます。
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11:53結構登りました。
見晴らしがよくなります。
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12:32「蛇形地蔵」に到着です。
ここまでが迂回路なんですね。
多分を通常の道のほうが平坦だったと思います。
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かわいいお地蔵さんが、かわいい帽子をかぶっています。
こちらでランチタイムを取りました。
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この奥に「湯川一族の墓」があると書いてあるのですが、どこがお墓かわかりません。
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奥の石垣の当たりなんでしょうか・・・
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13:01「湯川王子」に到着です。
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『為房参詣記』は、三階(みこし、現在の三越峠)の手前に内湯川(うちゆかわ)なる地名を記しています。
王子の名の初見は、『中右記』10月25日条の「内湯参王子」、『愚記』10月15日条にある「王子湯河」で、このころに湯川王子の名が定着したと見られます。
参詣の途上、宿泊や休憩をすることが多く、皇族・貴紳の宿所が設けられました。
湯川一帯は、戦国時代に御坊平野を中心に紀南に威勢を誇った湯川氏の発祥の地とする伝承があり、応永34年(1427年)に足利義満の側室・北野殿が参詣した際には、奥湯川氏を名乗る豪族の一党が兵を従えて接遇を行っています。
江戸時代には、本宮の湯川(下湯川村)と区別するために道湯川村(どうゆかわむら)と呼ばれ、王子は若一王子社として祀られました。
明治期には王子神社と呼ばれ、住人たちの氏神でありましたが、明治末年に社殿を残して金毘羅神社(近野神社)に合祀されました。
道湯川村はもともと山中の辺地の小集落で、明治に入っても和歌山県内唯一の義務教育免除地とされたほどであったそうです。
加えて、国道311号が三越峠の険路を避けて敷かれて交通路から取り残されたこともあって住人の退去が進み、1956年(昭和31年)には無住の地となって、社地も廃墟と化しました。
現社殿は、1983年(昭和58年)に再建されたものであり、以来、旧住人たちが祭祀を執り行っています。


「一族発祥の地」と書かれていますが、昔はこのあたりに多くの人が住んでいたんでしょうね。
結構な山の中なんですが・・・・
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皇太子もお越しになっておられました。
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今日の報告はここまで!
続きは後日をお楽しみに!


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2013/02/07 20:38 | COMMENT(2)TRACKBACK(0)

コメント

ひろみさんへ

静かな山道を歩くと心も体も元気になりますね!
是非一度訪問してみてください!

No:1156 2013/02/08 22:31 | 二朗 #- URL [ 編集 ]

こんばんわ。
熊野古道、かっこいいですね。
山の形もぜんぜん北海道と違いますよね。

No:1155 2013/02/08 20:17 | ひろみ #- URL [ 編集 ]

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