「景福宮」ソウル市

格安航空券活用ソウルツアー報告第七弾です。
ジンソンブックカフェで一休みした二朗一行は、次の目的地「景福宮」にお伺いしました。
景福宮は1395年(太祖4年)創建された李氏朝鮮の正宮です。
易姓革命で1392年、朝鮮を建国した李成桂(イ・ソンゲ)とその支持者たちが首都遷都を決定し、即位から3年後の1395年、高麗の首都である開京(ケギョン・現在北朝鮮にある開城(ケソン)の旧名)から首都を漢陽(ハニャン、現在のソウルの旧名)に移す過程で造られた宮殿で、現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)のような機能をしていた李朝の心臓部でした。
景福宮の「景福」は、「詩経」に出てくる言葉で、王とその子孫、すべての百姓が太平の御代の大きな幸せを得ることを願う、という意味だそうです。

まず目の前に現れたのは、「光化門(クァンファムン)」です。
1395年(太祖4年)に初めて建てられた光化門は、景福宮の正門で王室と国家の権威を象徴していた門です。
日韓併合後の1927年、朝鮮総督府の建物が建てられたことによって解体され、現在の国立民俗博物館の入口のほうに移転しました。
その後1950年、朝鮮戦争の時に焼失してしまいましたが、1968年2月、現在の位置に移動、復元されました。
光化門は全体的に均衡と調和を成し、壮麗な外観を持つ最も優れた闕門(王宮の門)という評価を受けていてます。
また「光化門」とハングルで書かれた看板の字は、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領が直接書いたものだそうです!
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次は「興礼門(フンレムン)」です。
光化門と勤政門(クンジョンムン)の南北の中心軸線上に位置する2階建ての建物で、1916年に朝鮮総督府が建てられたことにより、興礼門をはじめとする行閣などが撤去されました。
そして、2001年10月、85年ぶりに興礼門と興礼門の周辺が復元され、昔の姿を取り戻しました。
ちなみに李朝の正宮である景福宮には古代東洋の法制にしたがい、全部で3つの大門があるそうです。
1つめが外側を代表する光化門、2つめが景福宮全体の大門である興礼門、そして3つめが朝礼が行われていた勤政殿の出入口である勤政門です。
ふだん宮殿の外から勤政殿に出入りする時は、光化門と興礼門、勤政門を通ることになります。
また興礼門と勤政門にわたる空間は、王を護衛する兵器や軍事訓練を担当する近衛隊が配置された場所で、王の安全が最優先されていました。
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「永済橋(ヨンジェギョ)」を渡ります。
興礼門と勤政門の間に流れていた禁川(クンチョン)の上にかかっていた石橋で、1426年(世宗8年)に名前がつけられたといわれています。
長さは13.3m、幅が10.3mの永済橋の真ん中には魚道があり、石橋の左右にある花崗石が積まれた護岸には4頭のヘテ(日本のこま犬のようなもので、善悪を見分けることのできる想像上の動物です。
獅子と似ているが頭の真ん中に角があり、宮殿の左右に石像がある)が立っており、とっても印象的です。
「永済橋(ヨンジェギョ)」の向こうに見えるのが、「維和門(ユファムン)」です。
もともと維和門の外側には大臣が勤政殿などを出入りする以前、集まって国事を論議していた賓庁(ビンチョン)があり、宮殿の外にいた官員は光化門と興礼門、維和門を経て賓庁へ入っていったそうです。
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続いて「維和門(ユファムン)」です。
もともと維和門の外側には大臣が勤政殿などを出入りする以前、集まって国事を論議していた賓庁(ビンチョン)があり、宮殿の外にいた官員は光化門と興礼門、維和門を経て賓庁へ入っていったそうです。
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「勤政殿(クンジョンジョン)」です。
勤政殿は景福宮の正殿として当時、宮殿の正殿の建物の中では最も大きく、多包様式の建物で現存する最大の木造建築物です。
勤政殿では、王が臣下の朝礼を受け、公式な国家儀式を行われたり、宴会が催され、また外国の使臣との接見が行われました。
宮殿は2階建てで、中をのぞくと1階と2階が吹き抜けになっていて、天井まで見渡すことができます。
天井中央の竜の姿や丹青(王宮などの木造建築の壁、柱、天井などにさまざまな文様を鮮やかな色彩で描くこと)など華麗さと雄壮さを兼ね備えた優れた建築物です。
勤政殿は1395年(太祖4年)建立されましたが、文禄・慶長の役で焼けてしまい、その後李朝末期の1867年(高宗4年)11月に興宣大院君が再建されました。
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中はこんな感じ!
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勤政殿の前には、こんな石像がたくさん並んでいます。
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「思政殿(サジョンジョン)」です。
勤政殿の後方に位置し、国王が御前会議を行い、各種政策を決定するなど臣下と国事を行っていた便殿の建物の中のひとつです。
勤政殿が国家の公式儀式が行われる空間に対し、思政殿は王がふだん居住しながら政事を見きわめていた便殿です。
思政殿には「国王が深く考え、国を治めなければならない」という意味が込められています。
ちなみに思政殿の前には天、地などの千字文の名前が付けられた倉庫があり、ここは活字を保管していた活字倉庫と伝えられていますが、倉庫に番号を付けたものだという説もあります。
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「千秋殿(チョンチュジョン)」です。
国王が臣下と国事を行っていた思政殿の西側の便殿。この建物は文禄・慶長の役で焼失したのを1865年(高宗2年)に再建したものです。
当時、政治・経済・文化の面で優れた業績を残した世宗(セジョン)大王と集賢殿(チピョンジョン・宮中に設置した学問研究機関)の学者がここでさまざまな新しい文物を創り出したそうです!
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「康寧殿(カンニョンジョン)」です。
国王が生活する内殿の中心となる建物で、国王が仕事を終えた後に寝室として使われていた場所です。
康寧殿は1395年(太祖4年)創建され、国王が健康で安らかであれば百姓も安らかでいられるという意味から康寧殿という名前がつけられたそうです。
東西両側に「井」という字の形に9つの部屋を設け、国王はその真ん中の部屋で休み、周りの8つの部屋では女官が宿直していました。
また、寝殿の室内には家具を置かなかったそうです。
康寧殿の東側には東小寝である延生殿(ヨンセンジョン)、西小寝である慶成殿(キョンソンジョン)があり、また延吉堂(ヨンギルダン)などの付属の建物があります。日本の植民地時代に撤去されましたが、1994年に復元されました。
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ここまで見てきたら、またどの建物も同じように見えてきたので、次に向かいました。
長い歴史を感じる見事な建築物でした。

(所在地)
ソウル市鍾路区世宗路1-56

大きな地図で見る
(電話番号)
02-732-1931
HP

※今日の情報はこちらから拝借しました。


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2012/07/31 22:15 | COMMENT(2)TRACKBACK(0)

コメント

返信ウナギ

確かにその地区ではそういう言い伝えがあるようですが、わたくしのところは関係なく食べます。ま、わたくしは美味いモノ好きですから。今年はM端さんが8本も地物を用意してくれ、大変美味しくいただきました。当然炭火焼きです。ですから、この暑さも関係なく元気モリモリです。
でも、ウナギの美味しいのは冬場なんですよね。すごく脂がのって全然違います。
ところで、山口弁で言う「ボーボラ」って意味分かりますか?わたくしも知らなかったのですけど。北九州辺りでも使っているとか。

No:1018 2012/08/02 08:24 | ピッコロ #UYqLhazk URL編集 ]

ウナギ

山口新聞のニュースから引用

ウナギ食べぬ風習守る集落 山口・徳地鯖地区 2012年7月27日(金)掲載
村人がウナギを食べない約束をした三島神社とウナギを放す池(手前) 風習の由来を書いたコピーを手に語る奥邨剛さん 夏の土用の丑の日(今年は27日)はウナギにとって「受難の日」だが、山口市徳地の奥に、昔からウナギを食べない風習が残っている集落がある。ウナギを食べなくなったことに起因する神舞奉納も続けている集落の住民は「食べる気がしない」と話す。 珍しい風習の集落は…

No:1017 2012/08/01 23:53 | コーセン飴 #- URL [ 編集 ]

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