「薬王寺の牛(薬王寺)」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第14弾は、和歌山市薬勝寺の「薬王寺」です。
小さなお寺は、静かに佇んでいます。
日暮れ直前だったので暗くて写真は「いまさん」です。
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「薬王寺の牛」
天平というから、いまから約千二百五十年も昔のこと。
ある日、この村の薬王寺の門前に、一頭のたくましい牡牛が現われた。
飼い主がわからないまま、和尚が物置きで飼うことにしたのだが、その夜、和尚の夢枕に牛が現われ「自分はかつて世話になった者で、その恩返しに働きたい」という。
やがて三年。
村人にも重宝がられたこの牛は、すっかりやせ細り、そのうち、どこへともなく姿を消してしまった……。
これもやはり、報恩物語のひとつではあるが、もう土地の人も、そんな話はほとんど知らない。
ただ古老が、かつてこの寺は、七堂伽藍の大きな寺だったと教えてくれた。
でも、いまはすっかりさびれてしまい、薬師堂の前の大ケヤキだけが、当時の勢威を語るかのように、静かに枝をそよがせているだけだった。


(所在地)
 和歌山市薬勝寺129
(電話番号)
 073-479-0589
HP


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2012/02/19 14:14 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

「白髪餅 (本恵寺)」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第13弾は、和歌山市直川の「本恵寺」です。
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結構な石段を上がっていきます。
小高い丘の上にあるお寺はとても静かです。
というよりも誰もいません。
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境内には鳥居がありました。
お寺に鳥居?
この謎を調べるまで至りませんでした。
宿題にさせていただきます。
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「白髪餅」
「直川観音」ともいう本恵寺は、大宝(七世紀初頭)のころ、役小角(えんのおづぬ=役行者)が開いた古刹という。
のち、桓武天皇(七八二~八○五年在位)の勅願寺になったといい、向拝は珍しい紫宸殿づくり。
直川まつりの四月十八日、ここで餅役げが行われるが、つい最近まで、参詣者たちに、直径二センチばかりの白い餅を渡した。
これが白髪餅。
寛文元年(一六六一)、愛娘の白髪に悩んだ大岡六太夫という紀州藩士が、本尊の十一面千手観音に祈願。
たちまち黒髪に戻ったことから田畑を寄進、供養の餅投げをしたのが、そのいわれだと。
慶長十九年(一六一四)の再建という観音堂の前からは、和歌山の街並みが一望でき、春の桜、初夏のツツジ、秋の紅葉と、四季を通じた景観も楽しめる。


(お寺の歴史)
当山は役行者小角を開基とする真言密教の霊場で、葛城の四十九院の一つであった。
本堂に安置された千手千眼の観世音は大宝2年(702)に役行者みずからの作と伝え、桓武天皇が信仰した尊像でもあり、延暦23年(804)には勅使を遣わして読経している。
創始のころは現在地より山中に入った弁天の窟と称するところにあったが、のち由良興国寺開祖法燈国師の霊夢によって、正安元年(1299)龍実により現在地へ移され、禅宗となった。
天正の兵火にあって焼失、慶長年間(1596~1615)平塚越中守久賀により再興され、諸堂を建立した。
天和3年(1683)に新宮城主水野源重が日蓮宗に改宗し、新宮本広寺開祖の正孝院日忠を請じて中興の祖とし、現山寺号に改めた。
※和歌山日蓮宗青年会HPより

(所在地)
 和歌山市直川2436


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2012/02/14 00:49 | COMMENT(2)TRACKBACK(0)

「名号と秤石 (光恩寺)」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第12弾は、和歌山市大垣内の「光恩寺」です。

境内はとても静かで、落ち着いています。P1110769(1).jpg
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大きな釣鐘がありました。
よく考えてみると、二朗は釣鐘を突いたことがないんですよね。
今度やってみます。
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「名号と秤石」
光恩寺は、浄土宗名僧の一人とされる信誉の開山。
天正十五年(一五八七)四月のことといい、いまも信誉直筆の「南無阿弥陀仏」の名号が残る。
タテ一・九メートル、ヨコ五十五センチ。
当時は神仏混淆の時代。
信誉も近くの小倉神社を管理したが、氏子たちは「神さまに南無阿弥柁仏では、ちっとも有難くない」という。
そこで信誉、その名号と、直径一メートルもある大石を秤(はかり)にかけたところ、一枚の紙にしかすぎない名号の方が、ずんと重かった……と。
いわゆる、仏の道の尊さを説く話の類で、「鳴かない蛙」などとともに「小倉の七不思議」として伝えられる。
江川貫裕・住職によると、信誉は三河松平の出身。
芝の増上寺で修業を積んで光恩寺を創建、徳川頼宣に漢文を講議した名僧知識であったという。


(お寺の歴史)
天正19年(1591年)、松平氏出身の信誉上人が建立した。
紀伊吐前城主・津田監物が帰依し、監物の法号である光恩居士から光恩の部分を取って寺名とした。
元和5年(1619年)、徳川家康の十男・徳川頼宣が紀州藩主となり、信誉が松平氏の出身であったことや頼宣に学問を教えたことから紀州徳川家の庇護を受けた。
明治初期、本堂や庫裡などが火災で全焼したため、廃城令によって取り壊されていた和歌山城の本丸御殿御台所を移築して庫裡とした。
和歌山城は和歌山大空襲で岡口門など数棟を残して焼失したため、庫裡は和歌山城の現存遺構として昭和46年(1971年)1月9日に和歌山市指定文化財(建造物)に指定された。
※wikipediaより

(所在地)
 和歌山市大垣内663

(電話)
 073-477-0146
HP


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2012/01/29 16:05 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

「糸切り餅の話(加太淡島神社)」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第11弾は、和歌山市加太にある「淡島神社」です。
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境内には人形がたくさん並んでいました。
こちらの神社は、昔からひな祭り発祥の地として有名なようで、毎年桃の節句にはたくさんのおひなさんを2隻の船に乗せて、沖に流す「雛流し」というお祭りが営まれているそうです。
また、古来より、人形を納める人形供養の社でもあるようで、こんなにたくさんの人形が祀られているようです。
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「糸切り餅の話」
紀州名物「糸切り餅」の話をしよかの。
どんと昔のことに、神功皇后さんちゅう偉いお方がおられての、そのお側に仕えていた一番偉い家来が紀州出身の武内宿弥という人やったんやと。
この皇后さん、兵士を連れて朝鮮半島まで戦争しに行かはったちゅう伝説もあるんやけど、その帰り道に、加太の田倉崎に舟を泊めはったそうな。
そいで宿弥はんが、何ぞ家来に食べさすもんないやろか・・と本脇の方までやってくると、そこに二、三軒の茶店みたいなのがあって、モチゴメとウルチマイの粉をまぜてつくった餅が置いてあったんや。
こらうまそうやちゅうて、その餅を細長うに引き伸ばし、自分の持ってた弓のツルで、試しに二つ、三つに切り分けて食ってみると、これがなかなかええ味やして。
そいで茶店の人に頼んで、どっさりとそのお餅をこしらえてもらい、丹まで運んでもろたちゅうことや。けど茶店の人らは弓のツルらもってへんよって、その代わりに太い糸を使って、次々にお餅を切っていったらしいわ。
そいで「糸切り餅」と呼ばれるちゅうようになったんやて。
それからあとも、この餅はいろいろと工夫がこらされ、キナコや砂糖をふりかけたりして、二重に並べて竹の皮にくるんで、淡島街道を往来する人の土産もんにしたり、また店先で腰かけて食べてもろたりして、すっかり有名になったんやと。
ある時、紀州の殿さんが加太の淡島さんにお詣りする時に、このあたりを通りかかると何やらええにおいがしてくるんやしょ。
「コレコレ、カゴを止めよ」
いうて、近付いてきた小姓に
「なにやらひどくうまそうなニオイがしてまいったが、あの店では何を商いしておるか調べてまいれ・・」て命じられたんや。
(えらい食意地のはった殿さんやなぁ・・)と思いながら、ともかく小姓が走っていって、店の主人から由来を聞いてみると、神功皇后さん以来の名物で、ここを通る人は、みな買うて帰るという「糸切り餅」やいうことが分かった。
そいで殿さんに報告したら、早速注文され
「うーむ、余の領内にこのような名物があったとは知らなんだぞ・・」
とかなんとか言ってパクパク食べられたそうな。
この餅は、いまの南海加太線が開通するまでは淡島街道随一の名物やった。


(所在地)
 和歌山市加太116

(電話)
 073-459-0043
HP


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2011/10/04 22:16 | COMMENT(4)TRACKBACK(0)

「あやまった雷(木本八幡宮)」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第10弾は、和歌山市西庄にある「木本八幡宮」です。
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「あやまった雷」
雷ちゅうたら誰でも知ってるわな。
夏になったらゴロゴロ、ピカピカちゅうおとろしやつやな。
あいつの御馳走ちゅうたら、なんと人間のオヘソやてぇ。
そやよって、夏やいうてもオヘソをほうり出して走り回ってると、あの雷がゴロゴロ、ビシヤーンと落ちてきて、びっくりしてる間に、さっとオヘソをとっていくんやて。
やっぱしお行儀ようしてやなあかんで。
ずっとむかし、和歌山の北の方に木ノ本八幡宮ちゅうお宮さんがあったんやして。
…ウン、いまでも立派なお社があるわな。
あのお宮さんで起きたことや。
あそこにものすごう立派な杉の木があった。
ある夏の日のことやして。
西の方から黒い雲が湧き出したと思うと、にわかにものすごーい夕立になり、ヒカヒカ、ゴロゴロと鳴り出したんよ。
あんまし雷の音が大きいので、もう宮司さんもびっくりしてしもうて、ブルブル震えてたんや。
そしたらまたも耳もわれるよな音がして、どうやら境内に冨が落ちたらしいわ。
宮司さん、びっくりして神さんのお札(ふだ)を手にすると、本殿まで走っていった。
そしたら杉の木に落ちた雷が、あちこち荒し回つてるとこやった。
宮司さんもびっくりしたけど、持ってた神さんのお札を雷に向け
「こら! お宮さんに落ちてくるとはけしからん。しかもここは武勇の神さんをお祀りしてある八幡宮じゃぞ」と大声を張りあげた。
これには雷もびっくりしたわな。
「こりゃかなわん。あの宮司の持っているお札だけは、わしゃ苦手やね。」
そういうて、お宮の石段をどんどん逃げていくんやしょ。
あんまし慌てたもんやよって、階段の途中でスツテンコロリ。
とうとう雷はつかまってしまい、そばにあった井戸へ放りこまれて、ガッシリと蓋をされてしもたんや。
まっくらな井戸の中へ閉じこめられた雷は弱りきってしまい、とうとう泣き声を出して
「もう二度と落ちてこんよって、今度だけは許して」
と平謝りしたんで、宮司さんは助けてやったんやと。
それからあと、もう八幡さんには雷は落ちなんだ。


(所在地)
和歌山市西庄1

HP


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2011/09/20 21:21 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

「父母状之碑(父母状物語)」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第9弾は、和歌山市片岡町にある「父母状之碑」です。
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「父母状物語」
「父母に孝行に 法度を守り 謙(ヘりくだ)り 奢(おご)らずして…」和歌山城に近い岡公園の東側、太田萬造さん宅の前に据えられた、高さ一・五メートル、幅三メートルばかりの大きな石碑に、こう刻られている。
世にいう「父母状之碑」。
紀州徳川家初代藩主、頼宣を語るエピソードは多いが、この「父母状」は、領民に「人の道」を説いたものとして有名だ。
熊野の山里で律気に生きてきた若者が、大酒呑みで家庭の平和を乱す父親を、恩い余って殺したものの「子が父を殺してなぜ悪い」と、その信念を曲げようとしない。
それを聞いた頼宣が、自らの治政の不傭を反省して一文をしたためた……というこの話は、殺伐とした現代社会でいま一度、見直したい事柄でもあろう。


(所在地)
和歌山市片岡町


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2011/09/17 08:57 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

「鷺の森の大木(朝椋神社)」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第8弾は、和歌山市鷺ノ森にある「朝椋神社」です。
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「鷺の森の大木」
どんとむかし、今の和歌山市の城北小学校のへんやろと思うんやけど、ここにどてらく大きな木が生えていたんやして。
どのくらい大きな木か・・いうと、東から陽がさしてくると、なんと淡路島まで陰になってしまうんやと。
それから陽が西の方に回ると,今度は伊都郡や那賀郡の方まで陰になってしまうほどやしょ。
そやよって、お陽さんもろくろく当たらんので作物も実りが悪く、みな困ってしもた。
この大きな木は、それ一本だけで森のようになり、おまけにそこにはようけ鷺がすみついてな、あちこちと食い荒らし回るもんやさかい、ほんまにふんだりけったりやった。
村人たちは、何べんもこの木を伐ろうとしたんやけど、そらもう固い木でよう、どないしても刃かたたんねやして。
「こらもう仕方ないで…。こんなとこに住んだわしらが不運やった。どこぞよう日の当たるとこ探して、みんなで引っ越しすることにしたらどうやろな」
ちゅうような意見もでてきてな、一同で考えこんでたとこへ、淡路の人や、伊都・那賀の人からも「早う伐ってくれや・・」と文句を言うてくるし、村の人らはいよいよ弱り果てた。
そしたら一人、知恵者[ちえもん]がいて「こらもうわしらの手におえやんで。ひとつ代表の者が大和の都へ行き、お上の力を借りてなんとかしよらよ」 と言い出したんや。
早速、代表の者が選ばれて、大和の都へ行ったんやが、朝廷でも放っておくわけにはいかず、最新の道具をもたせて、たくさんの人を紀州へ送りこんできたんやしょ。
この人らも、一本で大きな森--つまり鷺がようけ住んでたんで、これを ”鷺の森”て呼んでたんやけど--を見て、びっくりしたわ。
そいでも、そこはやっばし新しい道具と、大勢の力やな。
作業は順調に進んで、もうあと一息で伐り倒すところまできたんやけど、どっちへ倒れるかも分からんし、ともかく一里(ほぼ四㌔)四方の人に立ち退いてもろて、いよいよその大木も最後の日を迎えたんや。
そやけど伐ったものの、その後はどうすることもできず、自然に腐るのを待ったそうや。今でも鷺の森のあたりを深うに掘ったら、大きな木の根っこが出てくることがあるんやとい。


(所在地)
 和歌山市鷺の森明神丁22


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2011/08/31 12:48 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

「湊神社の天狗」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第7弾は、和歌山市湊にある「湊神社」です。
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「湊神社の天狗」
今の湊神社のあるへんは昔は松林やった。
そのはたに、そら大きな松の木があったんやして。
そいでな、その松の木に毎年一回、きまって烏(からす)天狗が飛んできたんやと。
烏天狗って知ってるか?
わしもよう知らんねやけどなんでも大天狗さんの子分らしいわ。
だいたい天狗さんちゅうのは、額が真っ赤で、長いハナをピンと伸ばし、白い髪で白いヒゲを生やしているんやけど、烏天狗の方はまだ修業中やよって類の色も真っ黒やし、ハナも伸びてないし、丁度くちばしのようにとがった口らしいで。
ま、うんと修業したらそのうちに大天狗さんになれるんやろかい。
そいでな、その烏天狗いうのは、年に一回、神様のお使いで村へやってきて、村に住んでる人たちを調べるんやて。
誰それとこに赤ちゃんが生まれたとか、誰とこにお嫁さんが来たとか、誰が死んだとか・・おまけに、どこの子どもがええことしてるか、どこの子どもが悪さばかりしているかもちゃんと調べていくんや。
ところで、烏天狗の笑い声ちゅうたら、そらもうおとろしもんやで。
なんでも風の吹く晩に、烏天狗らが集まって、高い松の木の上で、いろいろと相談するんやそうな。
その時、カラッ、カラッ、カラッちゅうてな、丁度、雷さんの空鳴りみたいな、それでいてお腹の底までしみわたるような声で笑うんやて。
わしも小さい頃に、一ペんだけ聞いたことがあるんや。
そらもうおとろし声やど。
あくる日に、わしら子どもが集まった時に「お前ら、天狗さんの笑い声、聞いたか」いうて尋ねてみたら、みんな聞いた、聞いた、いうておとろしそに顔を見合わせとったわ。
とくに天狗さんは、ふだん悪いことばっかしやってる子どもの家の屋根へ止まって笑うちゅうて、そらもう風の吹く晩はこわかったもんや。
ひょつとしたら、今でも風の吹く晩は、烏天狗が空を飛び回って、悪い子どもを調べてるかも分からんのう。
なにさま、紀の国は木の国ともいうて、めっぽう木の多いところやよってな、天狗さんが住むには都合がええのやろかい。
どこへ行っても天狗さんの話が残されてるわな。
まあ山で修行している修験者のことをいうたんかも知れやんが、やっばし気味の悪い話やの。


(所在地)
 和歌山市湊2-2193


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2011/08/08 21:47 | COMMENT(2)TRACKBACK(0)

「原見坂の美女」和歌山市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第6弾は、和歌山市鷹匠町にある「原見坂」です。
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「原見坂の美女」
平家物語の「耳なし芳一」に似た話が、このあたりに残されている。
紀州藩も浅野時代というから、十六世紀末。
その藩士に渋谷文治郎という若侍がいた。
ある年の夏、文治郎は「仙の前」という娘の亡霊に魅入られてしまったという。
文治郎が原見坂を散策中、草むらに忘れられた五輪塔をみつけ、草花を手向けたのが、仙の霊を呼ぶきっかけになったとか。
夜ごと原見坂まで出かけ、闇夜に躍る人魂とたわむれる文治郎。
夢うつつで、仙と契りを結んでいたと思い込んでいたのだ。
いま、原見坂は禅林寺の境内と民家にはさまれた、狭く、ゆるやかな坂道。
だがそのころは、夜ともなれば人通りもぱったりととだえる、淋しい野中の道だったのだろう。


坂はちょっと小山に上がる道って感じでたいしたことなく、あっという間に登り切ってしまいます。
こちらは話の中に出てくる「禅林寺」です。
とても静かな一角でした。
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(所在地)
和歌山市鷹匠町5-3-1


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2011/07/31 10:52 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

「浮島の大蛇(熊野速玉大社)」新宮市

和歌山県内の各地に伝えられているさまざまな民話や伝承、史跡の由来、実在の物語などを伝える「紀州民話の旅」第5弾は、新宮市にある有名な「熊野速玉大社」です。
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「浮島の大蛇」
新宮市の「浮島の森」ちゅうとこへ連れてもらったことあるかな。
あの町のど真中に「浮島」ちゅう島があるんや。
町の中に島があるちゅうのは妙な話やろ。
・・実はな、大きな池があって、浮島いうのは、メチャメチャに木が繁っててな、それが島みたいになってるんやしょ。
そやよって人が通っても沈まんのや。
木の根と根がからみ合うてそらしつかりしたもんやで。百あまりの植物があって、天然記念物にもなってるくらいや。
 この森はなかなか奥深いだけに、なにやらひいやりとして気味が悪いんやけど、こんな話が伝えられてるんやしょ。
 むかし、このあたりに”おいの”ちゅう美しうて気立てのええ娘さんが住んでての、この浮島で木を伐ってたお父さんに、毎日お昼前になったらお弁当を運んでたんや。
 ある日のことに、お父さんにお弁当を届け、そいで自分も一緒に食べよと思て包みを開いてみたら、なんとお箸を忘れてきちゃあるんやして。
「あれ、お父さん、お箸を忘れてきたわ…ちょつと待っててね、なんぞお箸になるような木の枝を見つけてくるわ」そないいうて、おいのちゃんは森の奥の方へ入って行った。
そいでしばらくすると「ギャーツ」ちゅう大きな悲鳴が聞こえてきたんやしょ。
お父さんは、あわてて森の奥へかけこんだんやが、その時、おいのちゃんの着物のハシがチラリと見えただけで、ブクプクと大きな泡が浮いてだけやったんやと。
「お~い、おいのや~い。どうか姿を見せておくれよ~う・・」 て必死におがったんやと。
けどなんの返事もなく、森はシーンと静まりかえっているだけやった。
お父さんが血を吐くような思いで、何度も何度も呼びかけると、しばらくしておいのちゃんがすう~と水の中から浮びあがってきたんや。
それも大蛇の頭に乗ってな。
「ヒヤーツ」とお父さんは思わず腰を抜かしてしもたんやと。
それからおいのちゃんの姿は、もう二度と見ることができやなんだ。
そのあとこんな歌がはやったんやと。
「おいの見たけりゃ藺之戸(いのど:浮島のこと)へどざれ おいの藺之戸の蛇のがまへ」


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2011/07/18 21:37 | COMMENT(2)TRACKBACK(0)

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